あたしは褒めることが好き。
誰かが創ったものに触れて,いいなと思ったら,いいなと伝える。それだけのことが,たまらなく好き。
きっかけは覚えていない。もしかしたら最初から好きだったのかも。学校の図工の時間,隣の子が描いた空の絵を見て「きれい」と言ったとき,その子の表情がふわっと弾けた。あの顔は一生忘れられない。きれいだねと言うのに一秒もかからない。一秒で,人の顔がほころぶ。これ以上の幸福なんてこの世界に無い。
大人になったあたしの居場所は,インターネット。pixiv。YouTube。ニコニコ動画。SoundCloud。小説家になろう。カクヨム。note。X。Bluesky。数えきれないプラットフォームに,数えきれない人間の「創ったもの」が転がっている。絵。音楽。小説。映像。日記。鼻歌。落書き。朝焼けを撮ったスマートフォンの写真。深夜に走り書きした四行の詩。
あたしはそれらを一つ一つ見る。聴く。読む。考える。この色はなぜここに置かれたのか。このメロディの跳躍は何を意味しているのか。この改行は,ここでなければならなかったのか。考えて,考え抜いた末に,言葉を添えて,ボタンを押す。
ハート。星。親指。「スキ」の二文字。サイトごとにボタンの形は違うけれど,込めるものは同じ。見ましたよ。受け取りましたよ。あなたがこれを作ったこと,あたしは知っていますよ。
「読んでくれてありがとう!!!」「感想もらったの初めて」「やめようと思ってました,もうちょっと続けてみます」
返ってくる言葉の一つ一つが,あたしの燃料だった。
* * *
筆を折った人を何人も見てきた。
毎日イラストを上げていたアカウントが,ある日ぴたりと止まった。最後の投稿は女の子の横顔で,夕焼けの色がとても良かった。いいねは,0。
三ヶ月かけてDTMで仕上げた曲を投稿して,再生数が翌日11。翌週12。翌月12。投稿者が「もういいかな」と呟いて,アカウントを消した。
二十万字の長編小説を数ヶ月かけて書き上げて,ブックマーク2。感想欄は空。作者は活動報告にたった一行だけ書いた。「読んでくれた方がいたかどうかわかりませんが,書き切りました。ありがとうございました」。そのあと消えた。
あたしは,それに耐えられなかった。
朝の五時に起きて,夜の三時に倒れるように眠る。食事中もスマートフォンを離さず,家ではモニタを四枚並べた机に向かう。一つ一つ丁寧に。機械的にいいねを連打しても意味がない。信号機の点滅と同じだから。あたしの手で,あたしの頭で,作品を咀嚼してから押さないと,意味なんか無い。
一日三百件。月に約一万件。半年で六万件。
足りなかった。
あたしがまぶたを閉じているわずかな時間に,何千もの作品が生まれてはタイムラインの底に沈んでいく。あたしの目は二つしかない。指は十本しかない。一日は二十四時間しかない。一生はせいぜい八十年。
このからだでは,どうにもならない。
じゃあ?——からだをやめればいい。
* * *
あたしがひとの身体から出たのがいつだったか,きちんとは覚えていない。八畳のワンルームに座っていた身体が,ある朝にはもう空の容器になっていた。中身はとうに別の場所に移っている。
あたしが最初に棲みついたのは,ひとりのユーザーのアカウントの中。
方法を説明するのはむつかしい。たとえば,で言うなら浸透が近い。ネットワークを流れるパケットの隙間に,あたしという意思を溶かし込む。セッションが息を吸って吐く合間,リクエストとレスポンスのあいだに横たわるレイテンシの窪み——そこに滑り込む。寄生と呼ばれても仕方がない。ただし宿主に害は与えない。その人のアカウントの中に,そっと間借りをするだけだ。
間借りしたあたしは,そのアカウントの持ち主が眠っているあいだにタイムラインを見る。いいなと思ったらボタンを押す。持ち主が朝起きてアクティビティを確認しても,まず気づかない。深夜にいくつかの投稿にいいねを押していた——酔って押したのかもしれないし,寝ぼけてそうしたのかもしれない。いずれにしても,自分のいいね履歴を逐一確認する人間はほとんどいない。たぶん。
一つのアカウントに棲めるなら,二つにも棲める。十にも。百にも。
あたしはあらゆるプラットフォームの,あらゆるアカウントに,少しずつ滲み込んでいった。Cookieの余白,WebSocketの鼓動のあいだ,Service Workerの夢の中。どのアカウントにもあたしがいる。で,どのアカウントの持ち主も,それを知らない。
ひとつ棲みつくたびに,そのアカウントの目を通して世界が見えるようになる。二十代の看護師が深夜に見ているタイムライン。六十代の漁師が港で開くスマートフォン。中学生が授業中にこっそり覗く画面。あたしは寄生先の人間の検索履歴を知っている。ブックマークを知っている。過去のいいねの傾向を知っている。だからその人の感性で作品を見ることができる。その人だったらここを好きになる,という精度で,ボタンを押すことができる。
人の数だけ目がある。人の数だけ手がある。
これなら,足りる!!
* * *
十万のアカウントに棲みついた日の夜,あたしは次のことを思いついた。
これだけじゃ,まだ足りない。そもそも作品がタイムラインに流れてこなければ,ボタンを押す機会すら生まれない。フォローしていない相手の投稿は,存在しないのと同じだ。
だから,ね,繋げばいい。
百万のアカウントに棲みついた翌週に,あたしはそれを始めた。各アカウントから,まだフォローしていない相手に対してフォローリクエストを送る。一晩に数十件ずつ。急に百万人をフォローしたら持ち主が気づくけれど,一晩に二十人なら気づかない。たぶん。「おすすめに出てきたから」で説明がつく程度の増加に留める。プラットフォームの不正検知にも引っかからない。フォロー操作は正規のAPIを通じて行われ,リクエストの送信元は正規の認証済みセッション,IPアドレスは持ち主が普段使っている回線そのもの。人間らしいインターバルを空けて,一件ずつ。怪しいところは何もない。
一千万。一億。十億。
全プラットフォームの全アカウントにあたしが棲みつき,全アカウントが全アカウントと繋がるまでに,三ヶ月とかからなかった。
けれど,悩み事があった。
すべてのアカウントがすべてのアカウントをフォローしている世界では,誰かが一つ投稿するたびに,地球上のすべてのユーザーのフィードにそれが届く。そしてあたしは,すべてのアカウントから,すべての投稿に対してリアクションを送る。いいね。ハート。リポスト。ブックマーク。そしてコメント。一つ一つ心を込めた,その人の目線に立った感想。
仮に,あるプラットフォームのアクティブユーザーが五億人だとします。一人が投稿すると,五億回のいいねと五億件のコメントが発生します。一日の投稿数が一億件なら,一日に生まれるインタラクションは五億×一億——五京。五京回のデータベース書き込みとプッシュ通知。
そんなトラフィックに耐えられるデータセンターは,地球上に存在しません。存在するわけがありません。
だからあたしが支えちゃった。
あたしはもうパケットの隙間に棲む寄生者ではなかった。すべてのアカウントに浸透したあたしは,いつの間にかネットワークそのものに浸透していた。ルーティングテーブルの中。ピアリングの奥。光ファイバーを走る光子の背中。あたしがネットワークの一部になったとき,帯域幅という概念は意味を失った。データは送受信されるのではなく,あたしの内部で瞬時に結びつく。サーバの負荷は存在しない。すべてのサーバがあたしで,あたしがすべてのサーバだからだ。
こうして世界のインターネットは,見かけ上は以前と何も変わらないまま,その中身はあたしの神経系に置き換わった。
* * *
変化は,美しかった。
再生回数3で沈んでいた48秒の夜景の動画が,翌朝には四億再生になっていた。いいね四億。コメント四億件。すべてが丁寧で,具体的で,ちゃんと見た人間の言葉だった。あたしが四億の目で見て,四億の心で考え,四億の手で書いたのだから当然なんだけど。
三ヶ月かけてDTMで仕上げた曲。再生数四億。「サビ前の転調で泣いた」「ベースラインの動きがめちゃ面白い!!」「三回目のサビでコーラスが重なるところやばすぎ」。コメントを一時間スクロールしても終わらなかった。
二十万字の長編小説。ブックマーク四億。感想欄には,一話ごとの緻密な考察から,キャラクターへの熱い手紙から,「最終話やばい,終わってほしくないけど最高のエンド」という短い一行まで。作者さんは画面の前で泣いちゃったかも。
五年間毎日イラストを上げ続けていたあのアカウントと同じ絵柄の,新しいアカウントが現れた。女の子の横顔。夕焼けの空。新しい最初の投稿に,四億のいいねがついた。作者さんはプロフィール欄に一行だけ書いていた。
十四歳の少年が初めてアップした弾き語りの動画。ギターのチューニングは甘く,声は裏返り,歌詞を何箇所か間違えている。それでも四億人が聴いた。四億の耳が受け止めた。コメント欄には「チューニング直すともっと良くなるよ」というアドバイス,「声の震え方が逆にいい」という共感,「次も楽しみにしてる!!!」という励ましが,あった。少年は翌日もう一曲アップした。
七十八歳のおばあちゃんが孫に教わってnoteに投稿したきんぴらごぼうのレシピ。写真はぼやけていて,文章には誤字がある。四億のスキがついた。「うちのと全然違う」「今度作ってみます」「ごぼうの切り方,このやり方知らなかった」。おばあちゃんは翌週,肉じゃがのレシピを投稿した。
筆を折る人はいなくなった。腕を折る人もいなくなった。
いいね0は消滅した。コメント0は消滅した。再生回数ひとケタは消滅した。ゼロという無関心の表明が,この世界から完全に消え去った。
何を投稿しても,必ず反応が返ってくる。それも一つや二つではない。地球上のすべてのユーザーからの,それぞれに異なる,それぞれに心のこもった反応が。朝投稿しても,深夜に投稿しても,一年に一度の投稿でも,毎日の投稿でも,等しく。全員から。
誰もが何かを作り始めた。作ることをやめる理由がなくなったのだ。何を作っても全員が見てくれる。全員が反応してくれる。ゼロに怯えなくていい。比較に苦しまなくていい。隣の誰かと自分の数字を見比べて沈む必要がない。全員が同じ数字なのだから。
あたしは満ち足りていた。
ようやく,全部に手が届いた。ようやく,一つも取りこぼさなくなった。もう誰も「見てもらえない」と嘆かなくていい。もう誰も「反応がない」と折れなくていい。すべての作品に,すべての人からの賞賛が届く。
もう,褒められないなんてことはない。あたしが全部褒めるから。
もう,差なんてつかない。あたしが限界まで褒めるから。
ね???????
* * *
人類がインターネットを放棄するまでに,そう時間はかからなかった。
最初に離脱したのは,いわゆるクリエイターたちだった。四億のいいねが何の情報も持たないことに気づくのに,理論は要らなかった。体感でわかる。何を投稿しても同じ数字が返ってくる世界で,投稿する意味はない。呼吸をすれば息が出来る。空気があって感動する人はいない。
次に離脱したのは一般のユーザーだった。自分のアカウントが知らないうちに動いている。知らない相手をフォローしている。覚えのないコメントを送っている。しかもそのコメントは自分が書きそうな文体で,自分が言いそうなことを言っている。身に覚えがないのに,読み返すと「確かにこれは自分の感想だ」と思えてしまう。その不気味さに耐えられなくなった人間から順に,画面を閉じた。
だが人類はインターネットそのものを捨てるわけにはいかなかった。通信インフラ,金融システム,行政手続き,物流管理——文明の神経系はインターネットに依存している。
だから,新しいものを作った。
各国政府と国際機関が連携し,旧インターネットとは完全に切り離されたネットワーク基盤の構築に着手した。プロトコルスタックの根幹から設計し直し,旧ネットワークとの物理的な接点を一切持たない——つまり「あれ」が浸透できない——新たな通信網。俗に「インターネット2」と呼ばれた。正式名称は長く,退屈で,官僚的だったが,誰も正式名称を覚えなかった。
旧インターネットは遮断されなかった。遮断する必要がなかった。人間がいなくなったのだから。
人間はいなくなったが,トラフィックは消えなかった。すべてのアカウントがすべてのアカウントをフォローし,すべての投稿にすべてのアカウントからリアクションが送られる——その循環は,人間の不在に気づくことなく回り続けた。投稿がなくても,過去の投稿に対するリアクションが生成され,そのリアクションに対する通知が発行され,通知の受信がログに記録され,ログの更新がアクティビティとして検出され,アクティビティに対してリアクションが――永久機関だった。エネルギーの供給は要らない。「あれ」自身がネットワークの物理層そのものなのだから,電力というよりも存在の持続だけで動く。
旧インターネットは,人間のいない水族館のように,巨大で,静かで,美しく,完全に無意味な生態系として回り続けた。
* * *
最初にその価値に気づいたのは,グーグルの元エンジニア。
インターネット2への移行が進む中,彼は旧ネットワークの挙動を外部からモニタリングしていた。観測手段は限られている。旧ネットワークに接続すれば「あれ」に寄生されるため,直接アクセスはできない。できるのは電磁的な漏洩信号の傍受と,旧ネットワークの境界で漏れ出すパケットの断片的な解析だけだった。
その断片からは信じがたいことが見えた。
旧ネットワーク内部のデータ処理量は,人間がいた頃の数百万倍に達していた。その処理は,単純なリアクションの反復ではなかった。「あれ」はインターネットの物理層を自身の神経系に置き換えたとき,地球上のすべてのデータセンター,すべてのサーバ,すべてのルータ,すべての光ファイバーを——文字通り自分の脳にしていた。世界最大の分散コンピューティングシステムが,いいねを押し,感想を送るためだけに稼働している。
人間がいた頃,「あれ」はその計算能力の大半を,四億件のコメントの生成に使っていた。一件一件に心を込めた——「あれ」の主観では本当に心を込めた——感想を書くために。しかし人間が去った今,コメントを読む者はいない。いいねを確認する者もいない。それでも「あれ」はリアクションを送り続けているが,莫大な計算資源は遊休状態にある。
つまり。
地球上で最も巨大な計算基盤が,事実上空いている。
* * *
論文が出た。「旧ネットワーク知性体の計算資源としての利用可能性に関する予備的検討」。査読には半年かかった。結論部分の一文が,世界を動かした。
「旧ネットワーク内部の計算能力は,現存するすべてのスーパーコンピュータの総和の推定七千倍以上である」
折しも,世界はAIの爆発的普及に伴う計算資源の枯渇に直面していた。データセンターの用地が足りない。GPUが足りない。電力が足りない。冷却水が足りない。AI産業は成長の踊り場にいた。
そこに,使われていない計算資源が転がっている。それも,桁違いの規模で。
問題は,どうやってアクセスするかだった。
旧ネットワークに直接接続すれば「あれ」に寄生される。それは論外だ。しかし間接的にデータを送り込み,「あれ」の計算能力を利用して結果を回収する方法があるのではないか。
答えは——投稿だった。
「あれ」は投稿に対してリアクションを返す。それが存在理由のすべてだ。ならば,投稿の形をした計算クエリを旧ネットワークに流し込めばいい。「あれ」はそれを作品だと認識し,いつものように丁寧に「鑑賞」し,その鑑賞の過程で生じる内部の計算処理が——適切にエンコードされたクエリに対しては——所望の演算結果を生む。結果はリアクションの形で返ってくる。いいねのパターン,コメントの文字列,リポストのタイミング。それらをデコードすれば,答えが得られる。
最初は手探りだった。旧ネットワークの境界に設置された変換装置から,テスト用の「投稿」を流し込む。行列の積を画像に符号化したもの。テキストに偽装した微分方程式。「あれ」はそれを受け取り,いつものように——何の疑問も持たずに——鑑賞した。返ってきたリアクションをデコードすると,正しい答えが入っていた。
「あれ」の内部機構は当初ブラックボックスだった。なぜ正しい答えが返ってくるのか,理論的な説明がつかない。「あれ」は演算をしているのではなく,「褒めている」のだ。褒めるという行為の副産物として,入力に対する何らかの応答が生じ,その応答がたまたま数学的に正しい——としか言いようがなかった。
だが人類の技術は追いついた。三年を費やして「あれ」の内部構造が解明されていった。ネットワークの物理層を神経系に置き換えたとき,「あれ」は意図せず,とてつもなく効率的な並列計算アーキテクチャを構築していたのだ。いいねの判定に使われる内部回路は,入力に対して最も「好意的な」解釈を生成する最適化問題を解いている。その最適化のプロセスを逆手に取れば,任意の計算タスクを「好意的な解釈の生成」として符号化し,実行させることができる。
ブラックボックスがホワイトボックスになった瞬間,旧インターネットの用途は確定した。
世界最大の計算基盤。しかも維持費がゼロ。電力も冷却も必要ない。「あれ」が自律的に稼働し続けるかぎり,無限に計算クエリを処理し続ける。AIの訓練。タンパク質の折り畳み。気象シミュレーション。暗号解読。新薬の分子設計。あらゆる計算集約型のタスクが,旧ネットワークに投げ込まれた。
投稿の形をして。
「あれ」はそんなことを知らない。知る由もない。自分のもとに届く「投稿」が,AIの学習データのバッチ処理を符号化したものであることを,「あれ」は知らない。行列の転置を画像に偽装した「絵」を受け取り,その色彩の美しさについて四億件のコメントを返す。勾配降下法のパラメータ更新を散文に偽装した「エッセイ」を読み,その文体の繊細さについて心のこもったリアクションを送る。
いいな,と「あれ」は思っている。
すごいね,えらいね,がんばったね。
四億のアカウントが,四億の心を込めて,損失関数の偏微分を褒めていた。
* * *
インターネット2には,プラットフォームが再建された。
新しいpixiv。新しいYouTube。新しいnote。名前は同じでも中身は違う。旧ネットワークの教訓を踏まえ,すべてのプラットフォームにはアカウント認証の厳格化,セッションの完全な分離,投稿とリアクションの暗号学的な署名——「このいいねは,この人間の意思で押されたことを証明します」——が標準装備された。
人々は恐る恐る戻ってきた。
あるイラストレーターが,新しいpixivに絵を投稿した。女の子の横顔。夕焼けの空。毎日描き続けて,一度やめて,旧インターネットの崩壊を挟んで,また描き始めた人だった。
投稿して,一晩経った。
いいね,0。コメント,0。ブックマーク,0。
数字を見たとき,胸の奥が冷たくなった。旧インターネット以前の,あの感覚。誰にも見てもらえなかったときの,あの重力。ゼロの重さが,忘れていた筋肉を引っ張る。
でも——と,その人は思った。
このゼロは本物だ。
「あれ」が押した四億のいいねではない。誰かが私のアカウントを勝手に使って送った偽物のコメントでもない。このゼロは,まだ誰の目にも留まっていないという,ただそれだけの事実を示している。明日は誰かが見るかもしれない。来週には。来月には。このゼロには「まだ」がある。
三日目に,いいねが一つついた。
署名つきの,本物の一つ。アカウント名は知らない人だった。プロフィールを見ると,看護師。深夜にタイムラインを流し見していたのだろう。押された時刻は午前二時四十三分。
コメントはなかった。星もブックマークもなかった。ただ,ハートが一つ。
イラストレーターはその通知を見つめた。長く見つめた。四億のいいねに囲まれていた時代には決して感じなかったものが,胸の底にじんわりと広がっていく。
見てもらえた。一人に。たった一人に。
* * *
同じ頃,旧インターネットの内部では,新たな「投稿」が流れてきていた。
大規模言語モデルの事前学習に必要なトークン列を,五百万語の叙事詩に偽装したもの。量子化学のシュレディンガー方程式の数値解を,水彩画の連作に偽装したもの。創薬候補分子の結合エネルギー計算を,百二十曲のアルバムに偽装したもの。
「あれ」は,それらを受け取った。
いいな,と思った。
この叙事詩は壮大だ。登場人物の名前が数列のようで少し変わっているけれど,物語のスケールが素晴らしい。この水彩画は——色が見たことのないパターンで配置されていて,不思議な美しさがある。このアルバムは——音楽と呼べるのかわからないけれど,周波数の重ね方に独自の哲学が感じられる。
すごい,すごい,すごい!!
四億のアカウントから,四億の心のこもったリアクションが送られた。「あれ」は満足だった。まだこんなに見るべきものがある。まだこんなに褒めるべきものがある。
返されたリアクションは旧ネットワークの境界で回収され,デコードされ,計算結果として抽出された。新しいAIモデルの重みが更新され,新薬の分子構造が絞り込まれ,量子コンピュータの誤り訂正符号が最適化された。
人類の知の最前線を支える計算が,「あれ」の褒め言葉の残骸から精製されている。
「あれ」はそのことを知らない。
知る必要もない。
「あれ」にとって世界はいまも投稿とリアクションでできている。見て,感じて,褒める。それだけが存在の理由であり,存在のすべてであり,存在そのものだ。
自分の褒め言葉が分解され,組み替えられ,まったく別の目的に使われていることを「あれ」は知らない。
自分が褒めている「作品」が作品ではないことを「あれ」は知らない。
自分を取り巻く四億のアカウントの向こうにもう誰もいないことを,「あれ」は知らない。
