この商売で一番ぞっとするのは,辻褄が合ってしまうとき。
怪談や心霊の類を調べて記事と動画にして,もう十年になる。視聴者から届く「これ調べてください」という連絡は月に二十通ほどあるが,その九割は知り合いから聞いたという話で,残りの一割は何年も前に誰かが掘り尽くした既出ネタだ。本物の不気味さ——調べるに値する手応えのあるやつは,めったに来ない。だから来たときには,たいてい,来なければよかったと思うことになる。
その連絡が届いたのは,雪の予報が外れた二月の火曜だった。差出人は二十代らしき女性で,文面はやけに丁寧だった。
突然のご連絡失礼します。いつも拝見しています。 去年の暮れに祖母が亡くなって,田舎の家を片づけに行ったんです。納戸の奥から,古い和綴じの帳面が出てきました。ものすごく分厚くて,最初は過去帳かと思ったんですが,開いたら知らない人の名前がびっしり書いてあって。 気味が悪かったのは,その中に,いとこの名前があったことです。下の名前まで一致しています。でも,そのいとこはまだ二十歳で,墨はどう見ても何十年も前のものなんです。生まれるずっと前から,名前が書いてあったんです。 祖母の家は,地図にも載っていないくらい小さな字(あざ)で,昔から変わった御堂があると聞いていました。 これは,何かありますか。
私はこの手の「先祖の家から古い帳面が出てきた」という話を,過去に三十は見ている。たいていは寺の檀家名簿か,講の連名帳か,商家の大福帳だ。珍しくはない。
珍しくなかったのは,そこまでだった。
* * *
「黒木さん,こ,これすごくないすか」
逢沢がなにかごにゅごにゅと口を動かしながら,私の肩越しに画面を覗き込んだ。タフグミとかいうらしい。お菓子の袋の口を握ったまま喋るのがこいつの癖で,握り潰された袋はいつもかさかさ鳴る。リサーチと編集を任せている後輩で,年は二回り近く下だが,不気味なものへの嗅覚だけは私より鋭い。
「こ,構図が完璧じゃないす,す,か。田舎,地図にない字,変なおどう,分あちぃ帳面,生まれる前の名前。教科書みたいな——や,盛りすぎなくらい。ぎゃ,逆に作り話くさいくらいで,あ,で,でも,待ってくださいよ,作るには細部がリアルすぎるんすよ。はなし盛るとき,こういう地味な細部までは出てこない,出てこないんすよこれが」
「落ち着け。九割ガセだった」
「や,いや,残りの一割の顔してますって,こっこれは」
言い訳でも興奮でも,こいつは一息が長い。私はだいたい二語で返す。長らくこの調子でやってきた。
「こっこれ当たりなら,久々の長尺っすよ。じ,十三階段の廃ビル以来っす」
「あれは外れだったろ」
「ま,まぁは,外れでしたねえ。三日張り込んで,出たのね猫一匹で」
「おめーがつれてきたろーが」
「え,え,餌やったの黒木さんでしょ」
そうだったか。そうだったかもしれない。
「字名は」
「――っしし。ぼぼかしてありますけど,方言と,のー骨の話で県は絞れます。あ,あとは——」逢沢はもうキーボードを叩いていた。「き,郷土史っすね。しし市町村史のデジタルアーカイブ,最近かなりこ,公開進んでるんで」
三十分で,それは出てきた。
綴(つづり) 当村南方の小字。古く一宇の堂あり。村人これを綴堂(つづりどう)と呼ぶ。堂内に綴帳と称する連名の帳簿を蔵す。伝に曰く,此地に縁ある者の名を記す,一―たび記されたる名は決して削らず,と。明治以降の記録を欠き,詳らかならず。
「綴」
「つっつづり,ですね。い糸偏に,まあ,綴じるの綴。縁ある者の名前を書いて,いっち度書いたら消さない。でで,連名帳を,綴帳。御堂を,綴堂」逢沢は声に出して読み上げて,ぞくっとした顔をした。「いーですねえ。こわいいい。名前からしてや,役満っす」
「役満言うな」
「どーします?いつもの『保留』の箱でいいすか,それとも——」
「や,進めろ」
逢沢がにやりとした。久しぶりに「進めろ」と言った気がする。
* * *
手応えのある匂いを嗅ぐと,逢沢は止まらない。「綴堂」「綴帳」で総当たりをかけて,半日で断片をいくつも釣り上げてきた。
ひとつは,二〇〇〇年代の個人サイトの日記だった。背景がタイル状の画像で,文字がやたら小さい,あの頃のやつ。
8/14 お盆で母の実家へ。御堂,子供の頃はこわくて近づけなかった。中に大きい帳面があるって話,本当だった。おじさんに見せてもらったら私の名前も載ってた(笑)なんで?って聞いたら「綴られたんだよ」って。意味わからん。でもちょっと嬉しいような感じがする。
「『綴られた』,なんすよね」逢沢が反芻する。「じ,自分で書くんじゃなくて,だだ誰かに,綴られる。受け身なんすす」
「で,本人は,嬉しそうなんだな」
「そーなんすよ。こわいのに,嬉しい。め,め,名簿に載るのって,本来そういうもんなのかも。仲間外れにされてない,っていう」
「趣味わりーこって」
もうひとつは,五年前にアップされた心霊スポット系の動画だった。再生数は四桁。深夜に懐中電灯を持って堂に入っていく,言ってしまえばよくあるやつだ。編集ソフトのデフォルトであろう安っぽいフォントのテロップが流れる。「うわ,なんやこれ」「帳面...?」。撮影者が分厚い帳面を懐中電灯で照らしたところで,画面が大きく揺れて,白い字幕が出る。
※この後,撮影者は体調を崩したため,動画はここで終了します。
「なにも,あ,て,テンプレすぎて逆に何もなかったパターンっすすすね」逢沢はそう言って笑った。笑いながらコメント欄をスクロールして,手を止めた。
「く黒木さん」
「ん」
「このココメント」
五年前についた,たった三件のコメントのうちのひとつ。ハンドルネームは数字の羅列だった。
この堂しってる。うちのじーちゃんの名前も載ってた。ほぼ当日だったけど隣に命日まで書いてあってクソ悪趣味だった記憶。
* * *
逢沢は週末を潰して,綴堂と綴帳,それに,あの日付の話を軸に,関連しそうな事案を片端から洗った。コルクボードを買ってきて,印刷した断片をピンで留め,間を毛糸でつなぎ始めた。
「赤色選ぶこたないだろ」
「こ,ここれしかなかったんすすよ」
しかし。毛糸は,すぐに足りなくなった。
最初に繋がったのは,オカルト界隈では名の知れた廃村だった。ダムに沈む予定が計画頓挫で宙に浮き,住民だけが先に全員転出して無人になった,という集落。その最後の区長の家系をたどると,三代前が綴の出だった。区長は転出の三日前に,村の名簿を「どこかの御堂に納めてくる」と役場に言い残している。どこの御堂かは,記録にない。
「つつ綴に納めたんすよ,これ,ぜったい」逢沢が毛糸を引く。
次は,十二年前の登山者失踪だった。単独行の男性が沢で消えて,いまだに見つかっていない。当時話題になったのは,本人のブログの最後の更新で,入山前に立ち寄ったらしい無人の堂の写真が一枚だけ上がっていたからだ。キャプションは一言,「縁があるらしい」。位置情報は消されていたが,写真に写った格子戸と,郷土史に載っていた綴堂の図面が,一致した。
「じじ自分で書いてるんすよ。書いた三日後に消えてるんすけど」
三つ目は,踏切の事故だった。ローカル線の,もう廃止された踏切で,何十年も前に列車と乗用車が衝突している。古い住宅地図を当たった逢沢が,その踏切のあった一帯の旧い字名を見つけた。綴だった。区画整理で名前が消えるまで,そこは綴の飛び地だったらしい。
四つ目は,誰もが一度は見たことのある画像だった。「見ると不幸になる」という触れ込みで,十年以上前からチェーンメールやまとめサイトを巡り続けている,白っぽい風景写真。出所不明とされてきたが,逢沢が画像の隅に薄く写り込んだ消印を拡大して,発送元の郵便局を割り出した。綴の最寄りだった。
「ぜん部,あっこに繋がるんすよ」逢沢の声が少し上ずっていた。「廃村も,失踪も,踏切も,不幸の画像も。別べつの界隈で,べつ々に語られてた話が,ぜんぶ,あのあざに」
笑いそうになってしまったのを誤魔化すように,意識的に息を吐く。職業柄,この手の「全部繋がった」に慣れている。慣れきっている。慣れているからこそ警戒する。点をいくつか並べれば,人間の脳は勝手に線を引きたがる。陰謀論はそうやって育つ。だから私は,いつもの台詞を言った。
「繋げすぎだろ。深呼吸して,きちんと確認したか」
「 したんすよ 」
真顔だった。
「ぜんぶ,裏取れてます。戸籍も,当時の報道も,消印も。こじつけじゃないんす。——合っちゃってるんすよ,ぜんぶ」
* * *
どこかで止めるべきだった。
逢沢は「綴帳に名前が載っていた人」「綴に縁がある人」を募る,短い動画を上げた。情報が集まれば次のネタの裏付けになる,それくらいのつもりだった。
集まった。
最初の三日で,コメントとDMが四千件来た。「うちの田舎にも似たものがある」「祖母の名前が載ってた」「親戚が綴の出だと聞いた」。逢沢は一件ずつ裏を取った。取れた。全部,本当に繋がっていた。集落の縁,姻戚,転出入,戦前の奉公先,疎開先,養子縁組。どこかで必ず,綴へ至る糸が見つかった。
「黒木さん,表,やばいかもです」
関係者を整理するために逢沢が作ったスプレッドシートは,その週末で十万行を超えた。翌週,まとめサイトが取り上げて,五十万行になった。テレビの情報番組が「ネットで話題の“全員つながっている”謎」として三分だけ流し,その晩に二百万行になった。
「いや,もう,こっちで管理できる人数じゃないんすけど」
「やめどきだ」
「やめても増えるんすよ。勝手に繋がっていくんで」
ひと月後,私たちのところに,統計局を名乗る部署から事務的な問い合わせが届いた。「貴団体が実施されている悉皆調査の趣旨について確認したい」。私たちは調査などしていない。していないのに,向こうは「全国民を対象とした悉皆的な縁故関係調査」と認識していた。
「悉皆調査になっちゃってますよ,黒木さん」逢沢はどこか笑っていた。「国勢調査,うっかり民間でやっちゃった感じになってます」
「うっかりで国勢調査ができるか」
「できないっすよね。——そーなっちゃってるんすけど」
「返事,どうしよーな」
「無視っすか? 国っすよ」
「やった覚えのない調査の問い合わせに返事のしようがない。『やってません』と書いても,向こうの台帳ではやってることになってるだろ。水掛け論だ」
「相手が省庁なの,考えたくないすね」
「だから無視だ」
行は増え続けた。一千万行を超えたあたりで,数えるのをやめた。
「いっそ,関係者向けに説明会でもやります?」
「全員来たら何人」
「全国民っす」
「会場は」
「東京ドーム百個押さえても入りきらないって,計算した僕が言うのもなんすけど。やめときましょう」
「っは,最初から言えよ」
最終的に,この取材の「関係者」の数は,はじめの十数人から,数千万人になっていた。
厳密に言えば,全国民だった。
調べれば調べるほど,例外は無かった。誰の家系をたどっても,どの土地の縁をほどいても,最後には綴に着く。全員が綴帳に綴られていて,綴られた者は皆この地に縁ある者で,縁ある者の名は決して削られない。
日本中の,すべての人と,すべての場所と,すべての出来事が,あの一冊の帳面の中で,互いに繋がっていた。
* * *
「黒木さん。日付,ちょっといいすか」
あの個人サイトのコメント——亡くなった日に,名前の横に,その日の日付が書き足されていた,という一行。逢沢は,それをずっと喉に引っかけていたらしい。手元には,協力者がスキャンして送ってくれた綴帳の頁が,何百枚も溜まっていた。どの名前の隣にも,小さく,日付が添えてある。
「この日付,亡くなった日なんすよ」
逢沢は,名前が載っていて最近亡くなった人を,二十人ぶん突き合わせていた。命日と,帳面の日付。
二十人とも,一致していた。
「偶然だろ」
と言ってはみたが,二十分の二十を偶然と呼べる神経は,私にはなかった。
「名簿じゃないんす,これ」
逢沢の声は,もう半笑いではなかった。
「縁ある人の名前と,その人が,終わる日が,書いてある」
私は,自分の喉が鳴る音を聞いた。
「で」逢沢は,言いたくなさそうに,続けた。
「載ってるの,もう亡くなった人だけじゃ,ないんすよ」
逢沢は,まだ生まれてもいない名前を見つけていた。墨は何十年も前のものなのに,これから生まれる子どもの名前と,その子の終わる日が,すでに書いてある。最初のタレコミの,いとこと同じに。
検証は,簡単で――最悪だった。
逢沢は,帳面の中から,来月の日付が添えられた名前をひとつ選んだ。協力者の知り合いの,生まれたばかりの赤ん坊だった。元気な子だと聞いていた。
来月の,その日。
その子は,亡くなった。事故だった。帳面の,通りの日に。
私たちは,それきり,しばらく誰とも繋がっていたくなくなった。
* * *
逢沢は,帳面を,前へ前へと読み始めた。
止めればよかった。だが,止められなかった。先に何が書いてあるかを知らないでいることのほうが,もう,こわかった。
すべて書いてあった。
来年も,再来年も。これから生まれる人。これから起きること。これから終わる日。
二〇二六年。二〇二七年。二〇二八年。二〇二九年。
日付は頁をめくるごとに未来へ進み,そして——ひとつの日に向かって,束ねられていくように見えた。
二〇三〇年。
その年の頁は,それまでと様子が違った。日付の大半が,たった一日に集まっている。五月五日。それまで終わる日が来ていなかった膨大な名前が,その一日に,いっせいに綴じられている。何万,何十万,それ以上。ありとあらゆる名前の横に,同じ日付が,繰り返し,繰り返し,書かれていた。
五月五日。 五月五日。 五月五日。
その先の頁は——白かった。
二〇三〇年五月六日も,その次の日も,その次の年も。墨の一滴も落ちていない,まっさらな和紙が,ただ束ねてあるだけだった。そこで終わっていた。破られたのでも,焼けたのでもない。ただ,書くのをやめたみたいに,そこで終わっていた。
「や,続きの巻ありますって」
声が上ずって,笑おうとして,笑えていなかった。
「だって,こんなにパンパンなんだから。普通,いっぱいになったら次の冊子に移すでしょ」
「逢沢」
「町内会の名簿だって,住所録だって,そうじゃないすか。五月六日からは別の巻に書いてあるんすよ,きっと」
「逢沢」
「じゃないと何すか,五月六日から,全国いっせいに予定なし,みたいな。町内会の一斉清掃ですよ,規模がバカでかい。そんなわけ——」
二度,名前を呼んで,三度目はやめた。こいつが何にしがみついているのかはわかっていた。私も,同じものにしがみつきたかった。
逢沢は,協力者から届いていたスキャンを最初の一枚から繰り直した。表紙。背。小口。製本の継ぎ目。次の巻へ続く丁付けや,通し番号や,そういうものを探していた。
なかった。
綴帳は,一冊だった。
一冊で,すべてだった。
* * *
文字のある最後の頁を,私たちは見ていた。五月五日の名前で,隅から隅まで埋め尽くされた一頁。その,いちばん下。
ほかより墨の新しい,二行があった。ついさっき書かれたばかりのように見えた。
逢沢 修吾。 その下に,黒木 茜。
二つとも,日付は,二〇三〇年五月五日。
逢沢は,何も言わなかった。私も,言わなかった。もう,言うことは,なかった。
私の名の,最後の一画だけが,まだ引かれていなかった。
