問答無答

煌朝二百年の歴史において,もっとも血が流れたのは戦場ではなかった。

玉座の間である。

第十一代皇帝・昭恵帝が崩御し,その后であった蕭翠蓮が実権を掌握してからというもの,宮廷の空気は一変した。蕭翠蓮——のちに自ら「聖照天后」を名乗るこの女は,美貌と冷酷を等分に備えていた。政敵の粛清は言うに及ばず,気まぐれで人を殺すことにかけても非凡な才をもっている。

問題は,その「気まぐれ」が近年いよいよ制度化されつつあることにある。

ことの始まりは,天后がある日の朝議で退屈のあまり,居合わせた礼部の小役人にこう命じたことだった。

「この宮城で最も無駄な職務は何か。三日後に答えよ。余が面白いと思わねば,首を刎ねる」

三日後,小役人は震える手で木牘を掲げた。そこに何が書いてあったのか,記録は残っていない。残っているのは,小役人の首が胴体から離れたという事実だけだ。

天后はこれに味を占めた。

以来,天后は気が向くと周囲の文官を捕まえては「題」を出すようになった。三日から七日の猶予を与え,期日に木牘を掲げさせる。天后の満足を得られれば放免,得られなければ処刑。明快な仕組みではある。

無論,明快であることと合理的であることは違う。

何しろ判定基準は天后の胸三寸ひとつであり,学識も弁舌も武功も関係がない。ある翰林学士は古今の詩文を引いた格調高い答えを返して斬られ,ある衛兵は「よくわかりません」と正直に書いて斬られた。生還した者たちの回答を並べても法則性は見出せない。宮廷の知恵者たちは,とうに頭を抱えるのを諦めている。

強いて傾向を言えば,天后は「考え込んだ答え」を嫌い,「意表を突かれた瞬間」を好むらしい。とはいえ意表を突こうと狙えば狙うほど空回りするのが世の常だ。

生還率は,およそ三割。

戦場より悪い。

* * *

陳文卿ちんぶんけいという男がいた。

煌朝の下級文官。工部——建設・土木を司る省庁の末席に置かれて,日がな一日ため池の水位を帳簿に記している。字は丁寧だが遅く,弁舌は立たず,体格は痩せぎすで,詰所の隅に座っていると壁の染みと見分けがつかぬと陰口を叩かれていた。取り柄がない。出世の見込みもない。ただし取り柄のなさ故に天后の目に留まることもなく,それだけが唯一の長所であった。

その長所が,ある日失われた。

「陳文卿」

朝議の最中に名を呼ばれた瞬間,周囲の官吏がすうっと左右に引いた。まるで陳文卿のまわりだけ水が干上がるように,人の気配が消える。

天后が,退屈そうに頬杖をついている。その頬杖の角度ひとつで人が死ぬ。

「題を授ける」

陳文卿の膝が,最悪の部類で笑う。

「——永昌三年の大旱魃のおり,雨乞いの使者が竜神の宮に参じたところ,竜神のほうが困り果てた顔をしていたという。何故か述べよ。七日後に答えよ」

天后の横で,処刑人が刃を磨いていた。よく切れるようにではなく,いつでも切れるように。

* * *

七日。たった七日で答えを用意しなければならない。

しかし何を答えれば天后は満足するのか。過去の事例を紐解いても皆目見当がつかない。同僚に相談しようにも,「お召し」を受けた人間には誰も近づかぬ。穢れがうつるとでも言いたげに,廊下ですれ違っても目を合わせない。上官の姿に至っては三日前から見ていない。

宿直の詰所で一人,冷えた粥を啜る。匙が椀の底を擦る音だけがやけに響いた。

永昌三年の大旱魃。竜神の宮。困り果てた竜神。

――何だそれは。

永昌三年のことなら知っている。竜神信仰のことも知っている。だが竜神が何故困っていたかなど,どの典籍にも載っていない。載っているはずがない,起きていないのだから。学問で解ける類の問いではなかった。もっと別の,何か,頭の別の場所を使う必要がある。しかしその「別の場所」がどこにあるのか,陳文卿にはわからなかった。三十余年の人生で,一度も使ったことのない場所だった。

五日目の晩。

もはや当てもなく城下を歩いていた陳文卿は,裏路地の奥に灯るかすかな明かりに目を留めた。

「占」の一文字が,ほつれた幟に書かれている。

科挙を経て登用された者が,占いの暖簾をくぐる。同僚に知れたら末代までの恥だろう。天后の理不尽に対して神仏に縋った官吏は,記録が正しければ過去に一人もいない。

陳文卿は一瞬だけ逡巡した。それから,暖簾をくぐった。記録に残らなければ,いないのと同じ。

「いらっしゃい」

薄暗い室内に,痩せた老人が座っていた。髭は長いが櫛の通った形跡がなく,纏っている布はかつて法衣だったものが繕いに繕いを重ねた成れの果て。用途不明の壺が棚に,札が壁に,何かの骨が床に散らばっている。

「この街に占い師がいるとは知りませんでした」

「どこにでもいるさ。儲からないがね」

老人は名を甫玄(ほげん)甫玄ほげんと名乗った。

「ほう。お召しを受けたか」

陳文卿が事情を話すと,甫玄はさして驚くふうでもなく茶を啜った。茶碗の縁が欠けている。

「あんたも物好きだな。占いなんぞに来るくらいなら逃げりゃいいだろうに」

「逃げたら一族が処されます」

「生真面目なこった」

甫玄が言うには,彼の占術は「天問の儀」と呼ばれる古い術式で,問いを天に送り,天からの答えを受け取るものだという。先祖代々受け継いできたが,客が来ないので術の精度は確かめようがない。

つまり一度も成功したことがない。

「大丈夫なんですか」

「大丈夫かどうかは天が決めることさ。わしが決めることじゃない」

陳文卿にはもう選択肢がなかった。

甫玄は青銅の香炉を据え,形の異なる香を三種重ねて火を点じた。煙が立ち昇る。老人は題を墨書した帛を煙にかざし,聞いたこともない長い呪文を唱え始めた。

声の抑揚が部屋の空気を揺らし,棚の壺がかすかに震える。煙は渦を巻きながら天井へ昇っていき——やがて,室内から一切の音が消えた。

静寂。

甫玄が目を見開く。

「……来たぞ」

老人の手元にある白木の板——占盤と呼ばれるもの——に,陳文卿が書いた覚えのない文字が浮かんでいた。

* * *

日本。現代。

午前二時。

藤野翔太は自室のベッドに寝転がり,毛布から片腕だけ出して,スマートフォンの画面を眺めていた。枕元には飲みかけの缶コーヒーと付箋だらけの文献コピーが散乱している。缶コーヒーはとうに温くなっていたが気にしない。温いものを温いまま飲む。それが彼の生活の大半を占める行為だった。

大学四年生。歴史学専攻。卒論のテーマは「煌朝後期の宮廷儀礼と権力構造」で,指導教官の松永教授には「目のつけどころはいい」と言われている。「煌」が読めない友人からは「何を研究してるのか全くわからない」と言われている。翔太にもよくわからないところがある。

翔太はいつものように「ボケ棚」を開いた。

ユーザー投稿型の大喜利サイトだ。誰でもお題を出せて,誰でも答えられる。翔太は二年前からアカウントを持ち,もっぱら回答ばかりやっている。名の知れたプレイヤーではない。ただ,たまに赤い星——「秀逸」のマーク——がつくと口元が緩んで,もう一つ,もう一つと投稿してしまう。午前二時にそれをやっているあたりが,彼の人生の縮図だった。

新着のお題を眺めていると,異質なものが目に入った。

お題:永昌三年の大旱魃のおり,雨乞いの使者が竜神の宮に参じたところ,竜神のほうが困り果てた顔をしていたという。何故か述べよ。

画面を二度見した。

何だこれは。

投稿者は「ΦΩ玄」。アカウント登録は今日。過去の投稿はない。

お題として成立しているのかすら怪しい。回答数はゼロ。当然だろう。永昌三年も旱魃も竜神も,普通の人間には何のことだかわからない。

ただし——翔太は普通ではなかった。正確に言えば,普通ではないのは彼自身ではなく,彼の卒論のほうだ。

永昌は煌朝の年号である。しかも永昌三年の大旱魃は翔太が卒論の第二章で扱うつもりだった事案そのもので,竜神信仰と雨乞い儀礼は煌朝研究の定番テーマだ。このお題を出した人間は,自分と同じ分野の研究者か,さもなくば本物の変わり者だろう。

十秒ほど考える。

煌朝の竜神は水を司る至高の神格であり,臣下が一方的に恩恵を乞う関係とされている。その竜神が「困り果てていた」。畏怖の対象が困っている——となると。

翔太は回答欄に一行だけ打ち込んで,投稿ボタンを押す。

あくび。スマートフォンが手から滑り落ちて顔に当たった。

* * *

七日目。

玉座の間。

陳文卿は跪いていた。石の床が膝に冷たい。周囲を囲む官吏の視線が突き刺さる。左手には処刑人が控え,右手には天后の近侍が木牘を受け取るために立っている。

右が生で,左が死だ。

天后が口を開く。

「陳文卿。題を復唱せよ」

「はっ。『永昌三年の大旱魃のおり,雨乞いの使者が竜神の宮に参じたところ,竜神のほうが困り果てた顔をしていたという。何故か述べよ』」

「答えよ」

陳文卿は木牘を掲げた。

天后が読んだ。

静寂。

天后の片手が,顔にかかった。指の隙間から覗く口元が歪んでいる。細い肩が震えた。

怒りか。笑いか。陳文卿にはわからない。わからないまま心臓が三度止まり,三度動いた。

天后が顔から手を離した。

目が,笑っていた。

「下がれ」

陳文卿は生きていた。

* * *

甫玄の小屋で,陳文卿は天に向かって四度頭を下げた。五度目は額を床に打ちつけた。

「感謝してもしきれません」

「天に感謝しな。わしは取り次いだだけさ」

甫玄は金子を受け取りながら言った。術の代金としては破格だが,命の値段としては安い。

「また題を出されたら,必ず来ます」

「は,いつでも開いてる。どうせ他に客なんかいやしない」

それから二月ほど経った頃,陳文卿は再び天后に呼ばれた。二度目の題が出された。陳文卿は甫玄のもとへ走り,甫玄は「天問の儀」を行い,占盤に答えが現れ,陳文卿は生き延びた。

三度目も,四度目も同じだった。

翔太は「ボケ棚」で断続的に現れる煌朝がらみの奇怪なお題に,もはや慣れていた。投稿者はいつも「ΦΩ玄」。回答者はいつも自分だけ。異常な状況だが,翔太にとっては卒論の息抜きにちょうどよかった。煌朝の知識を使って答えるお題なんて,他に一生出会わないだろう。正直に言えば楽しかった。缶コーヒーを傾けながら十秒で回答を打ち込み,赤い星はつかないが手応えだけはある。相手の顔が見えないぶん,気が楽だった。

一方の陳文卿は,出世していた。

題に答えるたびに天后の覚えがめでたくなり,工部の末席からいつの間にか工部主事に昇進し,さらに員外郎の席が与えられた。詰所の隅で壁の染みと見分けがつかなかった男に,同僚たちが向こうから声をかけてくる。

「陳殿はさすがでございますな」

「どのように発想されるのですか」

面の皮が厚い奴らだ,と陳文卿は思ったが,自分の面の皮もなかなかのものだ。何しろ答えは全て天の——もとい占い師の占盤から得ている。

甫玄も潤った。陳文卿が渡す金子で小屋は改築され,「占」の幟は新品になった。新品になったところで客が増えるわけでもなかったが,甫玄は気にしない。

「天ってのは気前がいいもんだ」

その天が何であるかは,占い師にもわかっていなかった。

* * *

七度の題に答え,七度生き延びた頃のことだ。陳文卿は天后の使いに呼び出された。

「題ですか」

「いえ。天后陛下が直々にお話があると」

陳文卿の首の後ろを,冷たいものが這い上がった。

玉座の間の空気が,しかしいつもと違う。

人が多い。官吏が十名ほど,左右に分かれて座している。いずれも過去に天后の題に答えて生還した者たちだ。生き残りばかりを集めた部屋。一人一人の顔に見覚えがあったが,どの顔もこわばって,互いに目を合わせようとしない。

中央には大きな卓が据えてあり,その上に木牘が一人一枚ずつ並べてある。墨と筆が添えられている。

天后が立ち上がった。

「集まったな。今日は余興をする」

余興。天后の口から出るその語ほど恐ろしいものはない。

「余がこれから題を出す。ひとつではない。いくつか出す。題を聞いたら即座に木牘に答えを書き,掲げよ。面白ければ一点を与える。全ての題を終えたのち,最も点の高い者には褒美を。最も低い者には——」

天后が処刑人の方を一瞥した。一瞥で十分だった。

「よいな」

即座に。即座に答えろ,と天后は言った。

これまでは猶予があった。一日でもあれば甫玄のもとへ走れる。香を焚き,術を施し,天から答えを受け取る時間がある。しかしこれでは走れない。焚けない。届かない。

天から答えが降ってこない。

「第一題」

天后の声が響いた。

「前朝の太祖が建国に際し万軍の前で訓示を垂れた折,最前列にいた兵がひとり泣いていた。なぜ泣いていたか」

官吏たちが一斉に筆を走らせた。

陳文卿の筆は,卓の上に横たわったままだった。

前朝の太祖。建国の訓示。知っている。科挙の勉強で丸暗記した。だが最前列の兵が泣いていた理由など,史書のどこを繰っても出てこない。学問の引き出しに,そんなものは入っていない。引き出しの奥まで手を突っ込んでも,指先に触れるものがない。

周囲を見ると,すでに三人が木牘を掲げている。天后がそれを読み,一人に頷いた。一点。他の二人には無反応。つまり零点。

陳文卿は白い木牘を見つめていた。白い。何も書かれていない木牘は,こんなにも白い。

「第二題」

容赦なく次が来る。

「御膳奉行が天子の膳を検めたところ,献立にない椀が一つ紛れていた。しかも天子はその椀だけ完食している。御膳奉行が絶句した理由を述べよ」

書けない。天の助けなくして,この頭からは何も出てこない。隣の官吏はもう三枚目の木牘に手を伸ばしている。速い。信じられないほど速い。

「ほう」天后が微かに口角を上げた。二点目を得た者がいるらしい。

第三題。陳文卿の木牘は白いままだった。

第四題。第五題。白。

処刑人が刃の手入れをしているのが横目に見える。

もはや走馬灯かもしれなかった。

陳文卿は白い木牘から目を離し,ぼんやりと甫玄の小屋のことを思い出していた。青銅の香炉。三種の香。帛にかざした墨書。そして,あの呪文。

甫玄が唱えるのを何度も横で聞いた。長い呪文だったが,耳に残っている。意味はわからない。わかる必要もなかったのだ,これまでは。

しかし今,他に何がある。

第六題。

「煌朝がこの先千年続いたとする。千年後の天子が歴代帝の肖像を並べた回廊を歩いていたところ,一枚の前でだけ足を止めて二度見した。何が描かれていたか」

陳文卿は目を閉じた。

周囲には十名の官吏と処刑人と天后がいる。香炉もなければ帛もない。

構うものか。

陳文卿は唇だけをかすかに動かし,甫玄の呪文を,記憶のままに唱え始めた。

声にならない声。隣の官吏にすら聞こえまい。息のような,吐息のような呟き。

何も起きないかもしれない。そもそも呪文が正しいかどうかもわからない。

——来た。

頭の中に,何かが降ってきた。文字ではない。声でもない。ただ「これだ」という確信だけが,胸の底にすとんと落ちた。

陳文卿は筆を取った。手が震えている。震えたまま,書けた。

掲げた。

天后が目を留めた。

一拍。

天后が片手で顔を覆った。肩が揺れている。

指の隙間から覗く目が,明確に,笑っていた。

点が入った。

零点のまま沈んでいた男が終盤で一矢を報いた。卓を囲む官吏たちの間にざわめきが走る。

最終題でも陳文卿は唇を動かした。また来た。また書けた。天后が頷いた。

催しが終わった。最下位の者は予告通り,左に退場した。

陳文卿は,生きていた。

* * *

それからの陳文卿は,甫玄のもとへ行かなくなった。

行く必要がなくなったのだ。天后から題を受けるたび,陳文卿は人目のない場所であの呪文を唱えた。すると以前と同じように「それ」が降ってくる。香炉も帛も要らない。呪文さえ唱えれば天は応じた。

甫玄に渡していた金は,もう渡す先がない。陳文卿は出世し,屋敷を構え,天后の覚えはますますめでたくなった。

甫玄のことは,たまに思い出した。あの痩せた老人は元気だろうか。まあ,金は十分に渡した。困ってはいまい。

* * *

翔太は卒論を書いていた。

「煌朝後期の宮廷儀礼と権力構造——聖照天后期における非公式的統治慣行の一考察」。我ながらよくわからないタイトルだが,書くべきことは山ほどある。聖照天后が宮廷で行っていたとされる奇怪な「催し」の文化的背景,権力維持メカニズムとしての機能,官吏たちに与えた心理的影響。しかし頼るべき先行研究は極めて乏しく,わずかな史料の断片から必死に捻り出した自身のメモ書きばかりが,ベッドの上に散乱している。

「ボケ棚」に現れる煌朝ネタのお題は,この半年で二十以上になっていた。翔太は全て回答した。ΦΩ玄からの返信は一度もなかったが,お題は定期的に投稿され続けている。

ある晩,翔太は卒論の草稿を見直しているうちにとうとう煮詰まった。午前三時。文字が目の上を滑っていくだけで,何も頭に入らない。缶コーヒーは空で,新しいのを取りに行く気力もない。

気分転換でもするか。

翔太は「ボケ棚」を開く。いつもなら新着のお題を眺めるところが,その夜はなんとなく,回答する心持ちにはなれなかった。けっきょく十分ほどスマートフォンをいじって,そのまま眠った。

* * *

煌朝。

陳文卿のもとに,天后からの使いが来た。新たな題である。

陳文卿は面食らった。

これまでの題は歴史や儀礼に題材を取っていたが,今回は天后の催しそのものが題材になっている。しかも奇妙に自省的だ。あの天后がそのような内省をするとは思えなかったが——いずれにせよ答えなければ死ぬ。猶予は五日。

陳文卿は呪文を唱えた。いつも通りに。

――何も降りてこない。

もう一度唱えた。丁寧に,一語一語,記憶の中,甫玄が発していた通りに。

来ない。

翌日も唱えた。翌々日も唱えた。場所を変え,時刻を変え,姿勢を変え,三十回は唱えた。

白い。頭の中が白い。あの「すとん」が来ない。

四日目の夜。

陳文卿は城下の裏路地を走っていた。

甫玄の小屋。「占」の幟が夜風に揺れている。新品だった布は,色褪せていた。

戸を叩いた。返事がない。

「甫玄殿」

返事がない。

戸を引くと,甘い匂い。

嗅いだことのない種類の甘さだった。蜜を焦がしたような,しかしどこか腐った果実にも似た匂いが,隙間から漏れるように鼻をついた。次に来たのは煙の残滓——何かを長いあいだ煮詰めていた痕跡。

奥の間に,壺がいくつか転がっている。ひとつは倒れ,ひとつは割れて,黒い膏のようなものが床板に染みを作っていた。

芥子の実を煮詰めたものだと陳文卿が気づいたのは,甫玄の身体を見つけた後だった。

痩せた身体はさらに痩せ,纏っていた布の中には骨が浮いている。繕いに繕いを重ねたあの法衣が,もはや骨を包む以外の用をなしていない。いつ事切れたのか。一日前か。十日前か。

陳文卿が渡した金子で何を買っていたか,考えるまでもなかった。

しばらく立ち尽くした。

壺の一つに,まだ残りがあった。底にこびりついた黒い膏。甘い匂い。

明日は五日目だ。陳文卿はその壺を手に取った。

* * *

玉座の間。

陳文卿は木牘を掲げた。

視界の端がぼんやりと滲んでいた。天后の顔も,処刑人の刃も,どこか遠い懐かしい景色のように映る。自分が何を書いたのか,正直なところよく覚えていない。ただ筆が動いた。頭の中は空っぽで,暖かくて,怖くなかった。

天后が木牘を読――すとん。

* * *

三月。

翔太は研究室で,論文の山に埋もれていた。

松永教授が各方面のコネを使って取り寄せてくれたものだ。煌朝の研究者はただでさえ少ない。そのうえ聖照天后の「催し」を正面から扱った論文となると,まともな学術雑誌に載っているはずもなく,地方の紀要や自費出版の研究報告,果ては個人のモノグラフまで掻き集めなければならない。研究室に届いた段ボール一箱分の紙束は,研究者であれば喜ぶべき宝の山だろう。翔太は青ざめた。

量はもちろんだが,もうひとつ。言っていることがてんでバラバラなのだ。

ある論文は「催し」を天后の精神的不安定さに起因する恣意的処刑と断じ,別の論文は宮廷の人事評価システムの変形であると論じている。かと思えば,中国の研究者が書いた英語論文には「天后は臣下に謎かけを行い,知恵を試した」とあり,台湾の研究者のものには「臣下の忠誠心を滑稽な方法で試す儀礼であった可能性がある」と書いてある。日本人の研究者のなかには,催しの構造を詳しく分析したうえで,脚注にこう記した者もいた。

「複数の臣下を集め,即座に回答させ,天后が逐一判定を下す形式が存在したことは,断片的な記録から推定される。いわば大喜利バトルの様相を呈していたと言えよう」

翔太は論文を閉じた。

大喜利バトル。煌朝の宮廷で。査読のない媒体とはいえ,よくこんなことを大真面目に活字にしたものだ。

――あほくさ。

翔太はスマートフォンを手に取った。「ボケ棚」を開き,自分の投稿ページを表示する。

お題:聖照天后が臣下に題を出して答えさせる催しを百年続けたとする。百年後,最後の答えが出されたのち,玉座に残された天后が独りごちる一言とは何か。

回答数:0

まあそうだろうな,と翔太は思った。こんなお題に答えられる人間がいるわけがない。

自分くらいのものだ。

翔太は十秒ほど考えて,回答欄に目をやった。

回答ボタンが灰色になっている。

「ボケ棚」では,自分が投稿したお題に自分で回答することはできない仕様だった。