長編

「今度の仕事はデカい」

薄暗い雀荘の奥座敷で,寒河江源三さがえげんぞうは低く言った。

寒河江組――と言っても暴力団ではない。界隈で暗躍する詐欺師の集団で,表向きは経営コンサルティング会社を名乗っている。

「ターゲットは?」

古参の戸田耕平とだこうへいが訊く。細い目をさらに細めて,煙草の煙を天井に向けて吐いた。

「帝都グループの会長,壬生川鉄造みぶかわてつぞう。78歳」

その名前を聞いた瞬間,卓を囲んでいた4人の空気が変わった。帝都グループといえば不動産,ホテル,金融を手広く扱う関東屈指の財閥である。

「壬生川は今,グループのしがらみから離れた『個人的な隠し財布』の運用先を探している。大手証券のカタログに載るような商品は眼中にねぇ。独自の哲学で勝ち続けてきたブティック・ファンドを求めてるんだ。そこに,ウチの架空ファンドをぶつける。ただし――」

寒河江が人差し指を立てる。

「相手は帝都だ。昨日今日小金を持ったIT社長とはわけが違う。奴らにとって投資先の信用調査は呼吸と同じだ,疑うとか信じるとかいう次元じゃない。専属の監査チームが,事務的に,かつ徹底的に身辺を洗いに来るだろうよ。会社の設立経緯,役員の経歴,過去の運用実績,取引先,受賞歴,メディア掲載。全部でっちあげて,全部に裏付けを用意しなきゃならない」

「今までもそういう仕事はやってきたでしょう」

最年少の美馬遼みまりょうがきょとんとした顔で言った。

「規模が違う。今回でっちあげるのは『設立15年の投資ファンドの全社史』だ。15年ぶんの嘘を矛盾なく組み立てる。これができたら,引っ張れる額は8桁じゃ済まない」

「面白え」

体格のいい堂島勉どうじまつとむが拳を打ち鳴らした。

「やりましょう,寒河江さん。嘘なんざ関東イチつきなれてる」

「よし。じゃあまず骨組みからだ」

寒河江はホワイトボードを引っ張り出した。

「架空ファンドの名前は『オーキット・キャピタル』。設立は2010年。創業者は――偽名でいく。『鷹山誠一郎』。東大経済学部卒,ゴールドマン・サックス出身。35歳で独立してファンドを立ち上げた,という筋書きだ」

「いいじゃないですか」

美馬が頷く。戸田も異論はないようだった。

「まずは設立初年度。2010年の運用実績からいくぞ」

寒河江がホワイトボードにマーカーを走らせる。

「初年度はリーマンショックの余波が残る時期だから,控えめにプラス8パーセント。投資先は国内不動産のリカバリー案件を中心に――」

「ちょっと待ってください」

戸田が煙草を灰皿に押しつけた。

「鷹山のゴールドマン時代の専門は何にしたんです?」

「債券だ」

「債券畑の人間が独立していきなり不動産に手を出しますか。壬生川の調査チームはそこ突いてきますよ」

「……確かにな。じゃあ初年度の投資先は債券中心に変えるか」

寒河江がホワイトボードを書き直す。

「いや,待て。債券中心だと2010年のリターンが8パーセントは高すぎる。当時の債券市場を考えると不自然だ」

「じゃあリターンを5パーセントに下げましょう」

美馬が言った。

「下げると15年間の累積リターンが変わるから,壬生川に見せるトータルの数字と合わなくなる。昨日の会食でもう概算は伝えちまってるんだ」

「…………」

沈む一同。

「……まあいい。ゴールドマン時代の専門を不動産に変えよう。そうすれば初年度の不動産投資も自然だ」

「でも寒河江さん,ゴールドマンの不動産部門って2007年に大幅縮小してるはずですよ。鷹山が在籍してた時期と被るんじゃ」

戸田の指摘に,寒河江の眉間にシワが寄る。

「じゃあ在籍時期をずらすか。入社を2001年にして――」

「2001年入社だと東大卒業が2001年。逆算すると鷹山は1978年生まれになります。さっき35歳で独立って言いましたけど,2010年に独立なら1975年生まれじゃないと計算が合いませんよ」

「合わないか」

「合いません」

「……じゃあ32歳で独立にしよう」

「できます? ゴールドマンで不動産を8年やってファンド立ち上げの資金を貯めて32歳で独立。ギリいけるか……?」

「いけるいける」

「いけるな」

束の間の安堵。しかし,ここからが本当の地獄だった。

* * *

「寒河江さん,2012年のところ,やばいです」

翌日。美馬が深刻な顔で切り出した。

「2012年に鷹山がロンドンの不動産カンファレンスで基調講演した設定にしましたよね。でもこの時期,オーキットは東南アジア案件に集中投資してることになってます。ロンドンのカンファレンスに出る動機が弱くないですか」

「東南アジア案件からヨーロッパに軸足を移す転機だったことにすればいい」

「でもそうすると,2013年の投資先も変わるんじゃ」

「変えろ」

「変えると2013年のリターンの説明がつかなくなります。東南アジアの成長率で計算してたんで」

「じゃあリターンも調整しろ」

「リターンを変えると,2014年に出した架空のプレスリリースの数字と矛盾します」

「プレスリリースも直せ」

「直すと,それを引用してる2015年の架空メディア記事も直さなきゃならない。で,その記事の中で言及してる従業員数が2014年のIR資料と食い違うことになります」

「…………」

「あと,従業員数を変えると,オフィスの広さの設定も変わりますよね。40人が入る想定で渋谷のビルにしてましたけど,20人なら広すぎる。でもオフィスを変えると,2011年に移転した設定と被って――」

「わかった。もういい」

寒河江はマーカーを置いた。

ホワイトボードにはおびただしい数の矢印と修正線が絡まり合い,もはや解読不能な状態になっていた。

「何でこうなるんだ……?」

堂島が腕を組んで唸る。

「2010年のことを変えると2012年が崩れる。2012年を直すと2013年が狂う。2013年をいじると2015年がおかしくなる。一個直すと三個壊れるんだよ。なんなんだこれは」

「ドミノだ」

戸田が静かに言った。

「嘘ってのはな,ドミノみてえなもんだ。短く並べてるうちは関係ないが,長く並べれば並べるほど,一個倒したら全部倒れる」

それは,この部屋にいる全員が直感的に感じ始めていたことだった。

短い嘘は簡単だ。「昨日は家にいた」。これだけで済む。裏付けるべき事実が少ないから,矛盾の生まれようがない。

だが15年ぶんの嘘となると,登場人物,場所,日付,金額,出来事のひとつひとつが互いに関係しあい,まるで網の目のように絡みつく。ひとつの設定を変えるとその設定に触れている他の全てを確認しなければならず,修正した箇所がさらに別の箇所と衝突する。嘘が長くなればなるほど,この「絡み」は加速度的に増えていく。

全体の整合性を維持できる嘘のパターンは,長くなるほど急速に減っていくのだ。

「思い出しました」

美馬が,何かに気づいたような顔で言った。

「前に3日間のアリバイを作ったときは半日でできたのに,今回は3日かけてもまだ2012年から先に進めない。日数の差は5倍なのに,難しさは5倍どころじゃない。――つまるとこ,嘘ってのは,ドミノみたいなものなんですよ」

「さっき俺が言ったろうが美馬」

「なに手前てめぇのフレーズにしてんだ美馬」

みな,混乱し始めていた。

「嘘の長さが倍になったら,難しさは倍にはならねえ。3日のアリバイはイスを3脚並べるようなもんだ。3脚とも立てばいい。15年の嘘は,いわばトランプでタワーを作るようなもんだ。高くなればなるほど,一枚足すたびに全部が崩れる確率が跳ね上がる。ある高さを超えたら,もう立つパターンがほとんどなくなる」

「じゃあ俺たちはどうすりゃいいんですか」

堂島が苛立たしげに言う。

「精度を上げるんだ」寒河江が腕を組んだ。「ひとつひとつの設定を,現実に存在する事実に近づける。現実は矛盾しない。現実に寄せれば寄せるほど,嘘同士が衝突する余地は減る」

「なるほど」

「鷹山の経歴は,実在するファンドマネージャーの経歴を下敷きにしろ。投資実績は実際の市場データに沿わせろ。オフィスは実在するビルを使え。現実という骨組みに嘘を貼りつけるんだ」

名案だった。一同はすぐさま作業に取りかかり,実在の人物や企業のデータを参照しながら設定を組み直した。

結果として。

* * *

「寒河江さん」

4日目の深夜,美馬がぼそりと言った。目の下には隈ができている。

「何だ」

「整合性を徹底的に突き詰めていったら……ほとんど本当のことになってきました」

「……何?」

「いや,だから。矛盾をなくすために設定を現実に寄せていったら,鷹山誠一郎の経歴が実在のファンドマネージャーとほぼ一致してしまって。オーキットの投資実績もほぼ実在のファンドの数字で。オフィスも実在のビルで。取引先も実在の企業で。もうほとんど『実在する会社の名前だけ変えたもの』になっちゃってるんです」

「…………」

「なんか,嘘って,長くすればするほど本当のことに近づいていきませんか?」

全員が黙り込んだ。

確かにそうだった。短い嘘には自由がある。「昨日は映画を観てた」。何の映画かは好きに選べる。だが嘘が長くなり,辻褄を合わせなければならない箇所が増えていくと,「選べるもの」がどんどん絞られていく。あらゆる制約を同時に満たすパターンを探していくと,最後に残る「完全に矛盾のない物語」は一本しかなくなる。

そしてその一本は,大抵の場合,事実だ。

「つまり」堂島が重々しく口を開いた。

「つまり,俺たちは4日間かけて実在する投資ファンドの社史をほぼ丸写ししたってことか?」

「……そういうことになりますね」

「バカバカしい!」

堂島が卓を叩いた。

「じゃあ何か。パーフェクトな嘘ってのは実現不可能で,近づけようとすればするほど事実になっちまうってことかよ。詐欺師殺しかよそれは」

「いや」

寒河江が静かに言った。その目が,妙に据わっている。

「逆に考えろ。これはチャンスだ」

「チャンス?」

「もう答えは出てるじゃねえか。15年ぶんの完璧な嘘が不可能なら――本当に15年やった実績を用意すればいい」

「は?」

「本物の投資ファンドを作る。実際に運用して,実際に利益を出す。15年後に壬生川の孫の代に仕掛ける」

長い沈黙のあと,戸田が煙草に火をつけた。

「15年まっとうにファンド運用して利益出してたら,そもそも詐欺する必要なくないですかい」

「…………」

「…………」

「…………そっか~……」

* * *

同時刻。

都内某所のマンションの一室で,女子高生がベッドにうつ伏せになり,PCの画面を睨んでいた。

noteのエディタが開いている。書きかけの文章がずらりと並んでいるが,至るところに括弧書きの注釈が入っている。「(※第3章の設定と矛盾)」「(※この人物は第5章で死んでる)」「(※時系列合わない)」。

作業通話,深夜一時。イヤホンから聞こえてくるのは友人二人の声。

「ねえ」

「何」

「長い話書くとさ,どうしても矛盾が出るんだよ。短いのは平気なの。短いのは得意なの。でも長くなると設定同士がぶつかりまくって,もう一個直すと三個壊れるんだ」

「わかる」

「わかんない」

「この苦しみに名前つけたいんだけど」

「名前?」

「書けば書くほど次に書けることが減っていって,最終的に展開がほぼ一本道になるあの感じ。あれ何て言えばいいのかな」

「『プロット』じゃない?」

「いや,もっとこう,壮大で構造的な……」

「じゃあ,『長編小説を書くということ』」

「…………まんまじゃん」

「だってまんまだもん」

「ひーちゃん,もう寝なよ」

「えー,もうちょっとだけ」